怒るという無駄なこと

休日出勤してみたものの、脳が働いてないので脳を働かせるために文章を書く。

結論から書く。
怒るのは無駄だ。

もっと正確に書くと怒りを他人にぶつけるのは無駄だ。

昨今体罰の問題などが社会問題として大きくとりあげられているが、
単に怒るだけでも無駄なのに、
体罰なんてもっと無駄だ。

他人に対して怒りをぶつけることのメリット・デメリット

一般的に他人に対して「怒る、叱る、どやす、詰める」ことは、
教育だと思われている、と認識している。

だが、怒りをぶつけられて人は成長するのだろうか?
怒りをぶつけられた人は萎縮するだけではないだろうか?

僕の観測範囲だと、人に対して怒ってる人の多くは、
単に自分のストレス発散が目的になっているように思う。

「俺は客観的に怒ってるぞ」
ふーん。そうですか。周りからはそう見えませんよ。

余談だけど、以前いた会社で2〜3時間説教したあげく、
本人は怒ってないつもりのバカいたけど、
ほんとうにバカだと思う。

怒らないで、じゃあどうすんの

怒らないでどう教育するの?
「指摘」すればいいんじゃないですかね。

言葉遊びみたいだけど、例えば○○というよくない事象があったとして
「○○すんな」ってのと、
「なんで○○したの?」
って受ける印象が違うし、
後者のが本人から解決策出てくるよね。

自分が考えだした解決策のほうがうまくやれると思うよ。
その解決策がダメだと思ったら、提案してあげようね。

事象に対して怒る

怒っちゃダメなわけじゃない。
怒りという感情は、きっと人類を進めてきた。

俺も、今まさに「怒るという無駄」について怒ってるからブログ書いてるわけだし。

怒りという感情が湧いてきたときに、
それを人のせいにしたり、人にぶつけるのが良くない。

例えば、仕事がら、他人のコードの糞さに怒ったりする。

でもいつも「コードを憎んで人を憎まず」という言葉を思い出す。

コードが糞なのは、そういうシステムだからだ。
例えばコードレビューをちゃんとするシステムにしたり、
jenkinsというのを導入したり、
システムとして糞コードが生まれない仕組みを作るべきだ。

非エンジニアの人にもわかりやすく書くと、
例えば、「電車で降りる人またないで乗ろうとする奴」にイラッとすることあると思う。

でも、それもシステムが悪い。
満員電車が悪い。
椅子とかの数が足らないのが悪い。
乗り降りするためのドアのスペースが狭いのが悪い。

そこできっと改善が生まれる。
昔に比べて、通勤ラッシュ時のドアのスペースは
材料や運用の進歩のおかげで広くなっている。
(椅子の数減るけどな)

怒りはシステム、運用、状況に対してぶつけよう

怒ってもいい場面とは

怒っていい場面がもしかしたらあるのかもしれない。

例えば見せしめ。

僕は絶対にしないけど、見せしめのために怒るという場面はメリットがあるのかもしれない。
見せしめに怒られた奴のサイコパスはすげーーーー濁るけど。
いや、やっぱ周りも濁るし、メリットないんじゃね。

あとは…
あとあんのか?犬とかには怒ったほうがいい?
いや、ペットにも怒るんじゃなくて褒めたほうがいいんじゃね?

あと、ほんとうに伝家の宝刀的に使うといいんじゃないですかね。
普段温厚な人が怒るのが一番効きますよ。

それでも怒らなければいけないときは

それでも、同じ指摘何回もしても治んなかったり、
その他やんごとなき理由で怒るという姿勢を見せる必要があるときには
以下のように怒るといいと思うよ

  • 怒るときは絶対に1対1で。人の前で怒るのは自己顕示欲でしかないですよ?
  • 短く済ます。せいぜい5分でいいのでは。
  • 過去は蒸し返さない
  • 最後は笑顔で終わるようにする
  • 1回怒ったら、10回ぐらい褒める

結論

怒りを人にぶつけても誰も得しない
せいぜい、自分のストレスを他人に転嫁してるだけ